ケガで走れなかった僕が「箱根駅伝」に出られた理由。(金子晃裕さん/実業団マラソン選手)
「アキレス腱以外はほとんど怪我してきましたね」 ーそう話すのは東海大学出身で現在は実業団マラソンで活躍する金子晃裕さん。 とにかく怪我が多く、大学4年間のうち正常な状態で走れたのは1年程度だったが、4年生の時には2016年の箱根駅伝メンバーとして最終区を快走、区間4位と健闘した。 故障がちで満足な練習量が確保できなかった彼が生き馬の目を抜くメンバー選考で選ばれ、箱根の地に立つことができたのは一体なぜなのか。どうやって怪我を克服することができたのだろうか。
トレーナーへの信頼が、短期でケガを乗り越える力に。
「箱根駅伝」に出たい、その想いで戦ってきた。
2016年1月、金子晃裕選手は箱根駅伝の常連・東海大学の最終10区を快走し、区間4位でゴールテープを切った。入学時には5000メートルの記録が東海大学陸上部の入部資格基準に届かず、同好会からのスタート。諦めずに前を向いて、着実に実力を伸ばしてメンバーの座をつかむまでには、記録だけでなく、度重なるケガとの戦いがあった。
「膝靭帯・足底・足首の故障…下半身の故障は、アキレス腱以外はだいたいやった」というようにケガがちで、万全な状態で走れたのは在学中4年のうち、1年程度だったのだ。
「もともとのんびりしているというか、気にしない質」だという金子選手だが、箱根駅伝まで1年を切った大学4年の春(2015年)にはさすがに焦っていたのではないだろうか。箱根駅伝のメンバーに選ばれるための実績が十分ではないのに、その時点で故障を抱えていたからだ。
箱根メンバーになるための最終アピールは11月の「上尾ハーフマラソン」。もう半年と少ししかない…。
やれることはもうないのか。そんな自問自答の中、後輩から〝行ってみたら〞と紹介されたのが、「アスリートヴィレッジ」だった。
遥々と浜松市までトレーニングに赴いた金子選手としては、最後のチャンスだったに違いない。ここが、正にターニングポイントになった。
「トレーナーさんが、体が今どうなっているのか、分かりやすく説明してくれる。これはきっと正しいトレーニングなんだ、と直感しました」
金子選手は、ケガからの復帰とパフォーマンスアップを目指して「アスリートヴィレッジ」でトレーニングをすることを決断。
短期間で成果を出すべく、トレーナーが緻密に計画を設定してくれた。
猫背など日常生活のクセや筋肉の張りによって崩れていた姿勢を改善し、ケガしにくくバランスの良い体づくりに時間を費やした。
「今まで自己流でやってきた部分も多かったので、うまくいかないときはそれが正しいのかどうかが不安でした。でも理屈に合ったトレーニングを設定してもらうことで、「正しいことをしているんだ」っていう確信のもとトレーニングに全力で打ち込むことができましたね」
ひとことで言えば、トレーナーとトレーニングへの信頼。
それが、ひたすらに前向きな金子選手のメンタリティと潜在能力に作用したのだろう。
紆余曲折はあったものの、11月の上尾ハーフマラソンで64分09秒と、これまでの自己記録を2分10秒上回る記録でゴール。
箱根駅伝の登録メンバーに滑り込むことができた。
飛ばしても崩れないフォームに安定した走り。トレーニングの成果が如実に現れた瞬間だった。
そして、サブメンバーとして迎えた箱根駅伝の当日。
なんと金子選手は急遽10区のランナーとし指名される。
プレッシャー・気温などブレーキ要因が多く、勝負強い選手が担うことが多い10区。同好会から這い上がり、度重なるケガにもめげずに夢の舞台まで上り詰めたメンタリティが評価されたのに違いない。
「フォームを乱さないことに集中した」との言葉通り、乱れずに走りきり、区間4位。夢の舞台・箱根で好成績を残した。
「アスリートヴィレッジでは〝自分の体が分かった〞ことが一番嬉しかった。体の状態に基準ができて、僕の中ですごく自信になりました。それと、スタッフさんの熱量がすごくて(笑)。とにかく弱気にならずに前を向いて行けた。今でも学んだことはセルフケアで活かせています」
諦めずに前向きでいたからこそ、トレーニングに没頭でき、ついに夢に手が届いた。しかしこれはスタートでもある。これから実業団選手としてより多くの目標に挑戦していく金子選手に注目していたい。
抱えている悩みをひとつひとつ、丁寧に解決していってくれる。
「体の悩みを話すとその場ですぐに答えがもらえることが本当にありがたくて。解決するためにどういったトレーニングが必要なのかも適切に計画してくれるので、トレーナーさんをとても信頼していました」と金子選手。
ケガというマイナスから、パフォーマンスアップへ。アスリートヴィレッジはアスリートのサポーターとして信頼されている。